大鹿村ってこんなところ

下伊那郡大鹿村
大鹿村は、古くは諏訪上下社領であったとみられ、南北朝の時代、後醍醐天皇の第8皇子宗良親王が興国4年(1343年)南朝の忠臣香坂高宗に迎えられて大河原城に入らせ給い、爾来30余年この地を拠点としてお暮らしになったと伝えられています。
親王御薨去の後は、香坂家数代の居城となっていましたが、後に武田信玄の所領するところとなり、江戸時代に至り徳川家の直領となりました。
明治2年(1869年)大河原・鹿塩の2か村となり伊那県に属しましたが、同4年(1871年)廃藩置県に伴い筑摩県となり、同7年(1874年)両村が合併して大鹿村と称しました。
明治7年(1874年)筑摩県の合併に伴い長野県に属し、同15年(1882年)分村の許可を得て、再び大河原・鹿塩の両村に分村しましたが、明治22年(1889年)再度合併して今日に至っています。
長野県下伊那郡の北東部に位置し、静岡県静岡市(東)、伊那市(旧長谷村)(北東)、駒ヶ根市(北西)、上伊那郡中川村(西)、下伊那郡松川町、豊丘村(西)、飯田市(旧上村)の7市町村に囲まれた村です。
東には南アルプス3,000メートル級の山々がそびえ立ち、西は伊那山脈に隔てられた農耕地の少ない典型的な山村です。
赤石岳に源を発する小渋川はこの山ひだを縫って西北に流れ、中川村葛島附近で天竜川に合流しています。
本村の中央部を中央構造線が南北に縦断していることで、地質学的にも知られています。
また、山野の植物資源も日本の宝庫といわれるほど豊富です。(大鹿村ホームページ抜粋)
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